牧師が見つめた性的な悩みの世界。公では語られない性的な場に「救い」があるとしたら…【沼田和也】
弱音をはく練習〜悩みをため込まない生き方のすすめ
■いかなる福祉も教会も提供できないものがある
本書にも書いたが、閉鎖病棟に入院したことのあるわたしは、今でも月に一度、カウンセリングを受けている。ところで、カウンセラーはただわたしの話を聴くだけでなく、意見を返してくれるのであるが、その聴くと返すとのタイミングが絶妙に心地よい。そして、その人は女性であり、その声もまた爽やかで清々しい。毎回話を聴いてもらううちに、わたしは彼女に対して、性的な欲望を覚えるようになった。
あるとき、意を決したわたしはそれを彼女に話した。カウンセラーによれば、それは転移の一つであるとのことだった。「よく正直にお話しくださいましたね」と、彼女は静かに微笑む。ああこの距離感だな。わたしは了解したのであった。わたしは彼女にあらゆるプライベートなことを話すがゆえに、彼女を恋愛対象とみなし始める。しかし彼女はあくまで職務としてわたしと向きあっているのだ。それゆえ、わたしは彼女がどこに住み、どんな生活をしているのか、その一切を知ることはない。彼女が着ている、彼女自身を包み隠す白衣や、彼女とわたしとのあいだに横たわる大きな灰色の机は、乗り越えることが決して許されない、わたしと彼女との距離を象徴する道具なのである。
福祉においても、困窮する人と支援する人とのあいだには、同じような欲望や悲哀が起こりえるかもしれない。現場では、たとえばソーシャルワーカーが彼ら彼女らの話にじっくり耳を傾け、誠実に対応策を模索する。最近では一方通行の支援を与えるのではなく、当事者と一緒に考え、最善の策を見つけだそうとする支援者も増えつつある。そういう場所で十分な支援を受けているはずの人が、教会に「つらい」と話しに来るのはなぜなのか。
その理由を、彼ら彼女らははっきりとは言わない。そもそも理由を自覚しているかどうかも分からない。また、全員が同じ理由だとも思わない。ただ、そのなかのかなりの人たちは、支援者に誠実さややさしさを感じれば感じるほど、絶望してしまうから教会に来るのではないか。支援者が自分へと向けるやさしさや魅力は仕事のそれなのであって、プライベートで親密な関係に至ることは決してない。彼ら彼女らはこの事実に絶望しているのではないか。さらに残酷なことには、その絶望をなんとか埋めようとして教会に来てくれても、わたしもまた、そのような親密さを満たすことは決してできないのである。
人を癒やし支えるのは人である。助けあうのも人どうしである。だが、公の場でこのように語られるとき、性的なものは語られない。
だが人間は性的な存在でもある。性器で交合するセックスだけを言っているのではない。手をつないだり肌をくっつけたりすることは、傷つけられれば命取りになるような部分を、お互いが曝しあうことだ。そのような関係を結ぶには不安や焦燥もつきまとう。
しかし、いかなる福祉も、そして教会さえも、提供することのできないものがそこにある。牧師であるわたしがこのようなことを語ってよいものか、葛藤もある。だが、この性的なものをしっかり認めたうえでないと、けっきょくはわたしの語る福音も、うわっつらをなぞるだけになるだろう。それは孤立する人には決して届かない以上、もはや福音ではない。
(『弱音をはく練習〜悩みをため込まない生き方のすすめ』から一部抜粋)
文:沼田和也
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沼田和也著 最新刊 2023年6月13日発売
『弱音をはく練習 〜悩みをため込まない生き方のすすめ』
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目次
序章 弱音をはく練習
弱音をはく練習が足りていないあなたへ
第1章 自分で自分を追いつめないために
「もうこれ以上は無理です」
生きていく意味が分からなくなったとき
第2章 生きづらさの正体を知るために
ある日突然、学校に行けなくなった
ひきこもりだった当事者が語れること
生きづらさの原因は「心」?
第3章 嫉妬心で苦しまないために
コンプレックスを手放さないという選択
他人と比べて嫉妬に苛まれるとき
他人を羨み、悔しくて仕方がないとき
第4章 人間関係を結び直すために
人間関係に疲れきってしまったとき
ため息一つを共有してもらえたなら……
S N S 時代は「別れる」ことが容易でない
第5章 憎しみに支配されないために
怒りや憎しみを無理に手放さなくてもいい
対人トラブルを起こしてしまいがちな人の共通点
「我が子をどうしても愛せない」と慟哭する女性
D V 被害者が虐待を繰り返されないために
第6章 性的な悩みに苦しまないために
「不倫をする人」を断罪しても仕方がない理由
性的な悩みは公の場では語られない
「わたしは男/ 女です」と言いきれない人からの手紙
「よけいなお世話」によって救われてきた経験
第7章 理不尽な社会を生きるために
リストラ・ハラスメントに誰もが遭遇する時代
この苦しみは他人のせいか? 自分のせいか?
死にたくなるほどお金に困っているとき
第8章 孤独な自分を見捨てないために
なぜよりによってわたしが苦しむのか?
子どもの頃によく見た「死刑の夢」
無駄で面倒なことに、幸せは宿っている
「自分自身の物語」をつくり、その読者になる
第9章 他人と痛みを分かちあうために
「ずるい」という想いを認めることから
人は何歳からおじさんやおばさんになるのだろう?
不純な動機で善行をするのはだめ?
終章 弱音をはきながら生きる
他人を妬む気持ちはなくならない